自己紹介 佐藤利明

 僕は福生市生まれ、福生市育ちです。多摩幼稚園、福生第一小学校、福生第2中学校、武蔵村山東高校を卒業しました。野球の大好きな少年でした。若いころの夢は野球の選手、トラック野郎になることでした。

 今でも友達と野球観戦に東京ドームへ年に数回は行きます。目が不自由なのでラジオをつけて臨場感や雰囲気を味わっての観戦です。 

 住まいは近く、ヨコタホームまで約20分、徒歩での通勤です。福生は慣れたところで、できる範囲で活動しています。

 高校卒業後、旅行の専門学校で学び、旅行会社に就職しました。
 

 就職してから6年後、難病指定の目の病気になりました。

 目が悪くなり始めた頃、眼鏡を作ろうと思い立ち、眼科に行きました。その担当医から難病指定の目の病気であると伝えられました。 

 それまで普通に見えていた視力は急激に悪化してほとんど見えなくなりました。
すごいショックを受けました。世界が大きく変わってしまいました。あまりの違いに、本当のところ心は落ち込んでしまいました。

 「目が悪いから」を言い訳に外に行かなくなりました。どちらかと言えば引きこもりがちでした。 

 担当医から「盲学校に行ってみないか」とパンフレットをもらいました。電話して、行くことを決心しました・・・これが難病にかかった後の、自分の人生の大きな転換期となりました。

 盲学校に行くようになり、中に入ってびっくりしました。僕より目の悪い人がおおぜいいて、ほんのちょっと見える僕を頼りにしてくれました。全く見えない、真っ暗闇の人も頑張っているのを見て、「甘ったれてはいけない」と思いました。心が変わりました。これからの人生を考えて「資格取って、生きるためにはこれしかない」と思い、マッサージ師の資格を取ることに決めました。

 盲学校の卒業がちょうどヨコタホームの開設時期に当たり、入職することができました。

 ヨコタホームに来て、人間関係に恵まれました。周りの人たちが気を使って声をかけてくれました。「こちらから心を閉ざしてはダメだ」と思いました。食事に誘ってくれたりして、すごく励みになりました。

 以来20年間ヨコタホームにお世話になっています。 


 余談になりますが、生活する上で目が見えないことで不自由に感じることはたくさんあります。例えば、今はスマートフォンが大変普及していて、大変便利なものですが、健常者と違い、目の不自由な人にはスマートフォンは使いにくい面があります。操作が難しいのです。数字も文字も見えませんから、表面が平らでなめらかだと押すことができません。

 最近では音声による認識機能も付いたものが出てきています。家のパソコンでは音声の出るものを使っています。

 生まれた時から目の見えない人と、途中から見えなくなった人では、いろいろな点で違いもあります。
 生まれた時から目の見えない人は、とても感はいいと思います。耳の感覚がとても鋭くなっています。目は見えなくても、心で見ています。点字を読むのがはやいです。僕みたいに中途半端のはだめですね。つい今までの感覚に頼ろうとしたりします。



 最後に、


 皆さんに助けていただいてここまで勤めることができました。感謝しています。
今後も皆さんのお役に立ちたいと思っています。よろしくお願いします。

                                               


      嚥下体操を指導する 佐藤利明 

 



前のページに戻る